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「底辺」ってなんだろ

pixivの某グループにて、「底辺」ってなんなのかについて考える機会があったので、メモとしてここにも投下しとこうかな、と思います。

私も前は自分のこと「底辺」って思ってて、凄くいろんな人に攻撃的になったりしてた時期もありました。
今思うとアレ、なんなんでしょうね。時間の無駄でしたね。
そんなこと考えてるなら落書きの一枚でもすればよかったと今では思います。
今もTwitterの自虐ネタとしてたまに言いますが、あくまでネタで、本人はPCの前でニヤニヤしてたりします。
それも意地が悪いので、もう辞めようかなと思います。
決意も込めて。

以下、自分の文章を転載。

「底辺」か「底辺でないか」と感じるかどうかは絶対的な基準があるわけじゃなくて、常に誰かとの相対な気がします。

例えば、ごく近い周り(同級生、Twitterでよく話す人など)に自分より常にpixivの点数やブクマ(今はこれだけのことを指して「評価」と言います)が自分より遥かに多い人がいたら、その人と「相対的に見て」底辺だと思ったりすると思います。

その辺りから、「あの人は自分より遥かに評価されているはずなのに、底辺だと言っている」のような、モヤモヤ感が生まれるのだと思います。

逆に、じぶんの周りに自分より評価の高い人が居なくて、「評価の高い人は遠い存在だ」と思っているのだとしたら、そんなに悔しくなるでしょうかね。

よくここに上がる話で、「ランキングに載っているあの絵より私のほうが上手いのに、なぜ評価されないのか」というのがあります。
それも、結局その人との「相対」で話をしています。

その「相対」で生まれてる感情が何なのかって言うと、平たく言えば悔しさです。
劣等感とそしてそれを受け入れられない、受け入れたくない気持ちです。

「底辺」だから、という言葉の裏にある感情は、こういうものじゃないかと私は思っています。

でも、その「悔しさ」と「劣等感」は、それだけだと悪いものではないと私は思います。


「身の丈を知る」という言葉があります。自分の大きさを知る、自分のできることできないこと、キャパシティの大きさを知る、ということです。

身の丈を知り、まだまだ上がいるなぁ、くやしいなぁ、自分はまだまだだなぁと感じることは逆にいいコトじゃないかと思います。
目標を見つければ動けるんですから。「そこまで行ってやる!」って思えば、きっと動けますしね。

良くないのは、「身の丈を知らず」「自分自身を過信し」「負け惜しみ」「他人のせいにする」ことです。
「目標を見つけず(または目標を諦め」「ただ嫉妬し」「動かない」
ことです。

「底辺」という言葉は、そういった感情を発してしまうことでもあります。そういう、感情を受け取った人が「素敵だな」と思ってくれるでしょうか。

昔、種村有菜さんが画集で「勿論自分の絵に、失敗したなとかイマイチだなとか、思うことはある。けれど、絶対にそれを言わないようにしてる。昔自分の好きな絵を、作者さんがそう言ってて悲しかったから、絶対に自分は言わない」と言ってて、それもそうだな、とすごく納得したことが有ります。

「底辺ですが」ってレッテルを自分で貼っちゃうのは、全ての絵を自分で貶める言葉を同時に吐いてるのと変わらないんじゃないかと思います。
それって、見た方はいい気しないし、悲しくなりますよ。


まぁ結局のところ大事なことは、「pixivの評価が全てだと思って一喜一憂してるのって結構時間の無駄」ってことに気づくことじゃないかなと思ったり、思わなかったりはしますが。

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